親になれたよblog〜子供が親にしてくれる

こどもたちとぱぱちゃんといっしょ

「上手な子離れ」の話

スピリチュアル的な子育ては

ある方にとってはすごく

寂しく、辛く、冷たいもの

と感じるかもしれませんね

受け入れ難いというか・・・

 

「たましいの子育て」が終わったら

上手な子離れが必要と言います

 

私はその通りだと思います

 

どちらかと言うと

スピリチュアルを知る前に

長女(第1子)を産んだ瞬間

私には、今までにない責任感が湧きました

「この子に、自分で幸せになる力をつけさせなければ」

という気持ち

 

自分の体格からしても、運動をしてきたのもあり体力にも

ある程度自信もあり

ほとんど病気もなく生きてきたわたしは

普通に子供は産めるもの、陣痛が起これば出てくる

そう思っていました

でも実際は、陣痛は起これど丸1日陣痛に苦しめられたあげく

緊急帝王切開になりました

結局、私も長女も危険な状態・・・

その経験があったからでしょう、人生なにが起こるか分からない

そう思うように変わりました

全てのことにおいてです

だから、初めは厳しく育てた記憶があります

 

人間の魂って

12~15歳くらいまでに成長して、自分で自由に動けるようになるようです

 

だからではないですが

そのころには自立する方向へ向かうのが正常なのだと思います

なので、それまでに自立できるよう基盤づくりが必要

 

子供は神様から預かっている宝物ですからね

 

盲導犬の里親のように

その子なりの活躍の舞台へ出ていくのを温かく見守るようにと

江原さんは言っていました

 

そうですよね

お母さんお父さんにも、自身の人生があるように

子供にもその子の決めてきた人生が待っているわけです

 

自分のために生まれてきたと思っている子供は

自分を成長させてくれるための子供なんですね

 

「子離れ」って冷たくすることでも、手放すことでもなくてね

愛情をひたすら注いでいた状態から、「推し活」に変わる状態だなと感じます

 

そして親離れが出来ない子供たちは

子供ではなく、親に責任があるということにも感じます

 

恋愛も、夫婦関係も、子供への愛も

「距離感」を意識する必要があると思います

距離がある=想いがない

は、違いますよね

良い距離感とは、相手を信じて見守る関係

実際の距離は関係ないと思います

これこそ無償の愛ですよね

 

結局、子育ても家族の関係もすべて

あなた自身が生まれた理由、愛を学ぶための

ミッションの一つでしかないのです

 

そんなの、寂しいなと思いますか?

大丈夫です、「今」を生きていれば、楽しさと勉強としか感じません

未来を見すぎるから、辛くなる、不安になる

過去を見るから、悲観的になる、後悔もする

 

今日があるだけで十分なのです

子育ては人生で最高のボランティアにもなるわけです

自分で産んだ子だけに限りません

近所の子供、友達の子供も同じ

 

自分の人生を子供だけに捧げないように

子供の人生を自分と重ね合わせて見てしまわないように

 

そんなことを思います

 

私の子供たちは、これからどんどん金銭的援助が必要ですが

それぞれ、大好きな勉強をしていて充実しているようです

まさに「推し活中」

 

だからこそ、こうやってブログを書こうと思えるわけです

まだまだ現役子育て中の方々

応援しております☆

是非、楽しむことを忘れないでくださいね🍀

 

 

「ありがとう」の威力

「ありがとう」

って言われて、嫌な人は

ほとんど居ないと思います

 

スピリチュアルの世界でも

「ありがとう」の素晴らしさを

様々な方が伝えています

 

人間って言霊を大切にといいますね

それはどの宗教でも共通

身口意を改めることもそうですが

ありがとうを伝えること

ありがとうを口にすることは

口にする自分自身も聞いているわけですから

その威力は、相乗効果となります

 

 

さて私の子育てと絡めてみます

外で遊ぶ機会が増えてきた子供に対し

1番しつこく伝えてきたことが

「あいさつの大切さ」

あいさつが、自分を守る行為だとも思いますので

その大切さはコンコンと導きました

 

その中で「ありがとうを自分から言う」

このことを特に意識しました

 

やはり、周りの大人が「ありがとう」を言わない人だと

子供が言うようになるはずがありません

 

たとえば私が、子供におやつを分けたとします

その時に

おやつの時間だから当たり前と思い

有難いと思わない人も多いでしょうが

私は、自分が分けて差し出したところでありがとうが言えない子供に対し

逆に私が「ありがとう」と子供に向かって言うのです

 

すると子供の反応はどうでしょう?

「なんでママがありがとう?」となるわけです

そこで子供は

私が貰ったのにおかしいな・・・

そこに気づけたわけです

だから続けて言うんですね

「だって貰ったらありがとう言って欲しいから」

とね

 

人ってね

考えることができる生き物です

やったことに対し、反省もできます

そしてその経験を

知恵、知識に変え、応用できる生き物です

 

百聞は一見に如かずと言いますが

「貰ったらありがとうを言うんよ」という

まだ未知の経験に対し言葉で伝えても

なかなか応用は出来ません

そこに実際に経験が伴うことにより

意味をもつ

 

そしてそれは繰り返しです

使わなくなれば、忘れていきます

 

主人もそう同じなんだよ

口数の少ない、気持ちの表現も苦手な人だったけど

そんな私の子育てを見ているうちに学んだか

「ありがとう」を違和感なく伝えてくるようになりました

まさに

子育ては、親育てであり、人間力を育てると体感しています

 

そしてだんだん気づいていくのです

「ありがとう」を口にすることにより

「ありがたい」出来事が増えていることにね!!!

そしてもうひとつ気づきます

元々「ありがたい」は沢山あったこと

確実に、周りから感謝されることが多くなっている自分にも気づく

そして知らぬ間に

精神性の向上にも繋がっていたことにも気づくのです

 

気づきが人を成長させるわけです

全て繋がっているんですね

本当に相乗効果というか

奇跡というか・・・

ありがとうや挨拶ができる子は

大人にも好印象を与えます

たとえ挨拶出来ない大人相手だったとしても

もしかしたら

その大人までも変えてしまうかもしれない子供の純粋な力

 

これからの世の中

そんなキラキラな子供に溢れて欲しいものです☆

 

 

 

 

マスの中に、字がハマらない…

漢字ノート

ありますよね

小学校低学年の子たちは

国語ノート、算数ノート

 

我が子が書く字は

いつも

その

マスをはみ出してしまってたんです

ずっとね

 

テスト用紙の名前を書く欄の(  )もね

8文字あるのですが、( )の中に入りきらない

 

 

私は、マス🔲が見えていないかと思い

「この四角見えてる?」って

言い続けていました

「この中に字を書いた方がいいねぇ」って

 

4年生くらいになると

そのマスも小さくなってきます

 

どうなるんだろう…

そう、楽しみにしていたんです

 

すると

はみ出してはいます

ただ

はみ出す割合が、マスの大きなときと

全く同じなんです

 

びっくりしました✨

 

そこで

新しい担任の先生に相談したんですね

「この中に書いた方がいいんだよ」って

ずっと伝えてるけど

「そーなんだ」と言うだけで…と

先生からも伝えてみてくれる?と

 

すると

マスの中に

全ての字がハマるようになったんです

 

 

結局、誰に伝えてもらうかも重要だとは思いますが

我が子は

マスの中に入れた方が良いのは分かったけど

マスの中に入れなくてはならないとは

受け取ってなかったみたい

 

「この中に、ハマるように書いてね」

ただそれで良かったみたいです

 

 

「〜する方がいいね」

 

 

この伝え方の難しさを知りました

 

相手を思いやるつもりが

そうではなくて

どちらでもよいと捉えられていたこと

 

勉強になったよ

 

語彙力も大切✨

 

父親の役割、母親の役割

父の役割、母の役割って言うと

どうしても

父は働き、母は家を守る

父は家族を守り、母は父を支える

 

そんな考えが思い浮かぶ方も多いかと思います

 

 

それは今は少し違う、そう私は思うんだ

 

 

なぜそう思うかは

心、思考とは別の魂の存在を知ったからなんだけど

とりあえず、結婚した二人には

やはり、感情だけではなくて

共に家族を作ろうと決めた(決めてきた)

自分の人生や世の中に貢献する目的があるんだ

仲が良い悪いなんて関係ないところで…

 

当然、そこには

幸せを創ることが大前提にあり

そのための

その家族ごとの

その夫婦ごとの

役割がある

 

それが今私が言う

父親の役割、母親の役割です

 

魂の繋がりでみると

父が過去世女性で、母が過去世男性やら

男性性の強い母

女性性の強い父

それも十分あり得る

しかも

両方が男性性強めもあるよね

 

でもそれは そこの家族では

それで良い状態だからそれが起こる

子供たちの魂もそれは分かってること

 

 

子供は親の愛しか受けられないわけではありません

今日会う友達、学校の先生

お店の店員さんの素敵な笑顔からも

愛を受け取ってます

だから、子供が可愛いと溺愛するのは少し違うかな

 

そして

夫婦それぞれ

相手にして欲しいこと、ではなく

自分が何について得意で

何が苦手で

何なら出来るか、

つまり

自分の活かし方と

相方の得意そうなことを見抜ける力

それと 向き合うのです

 

やりたいやりたくない、ではなく

同じことを二人ともができる関係性でなく

協力、共に生きる、共に生活する

それを意識した

それぞれの役割

1番楽なのは

それぞれが得意が違うことだよね

任せればよいのだから

 

だから父親の役割、母親の役割なんてものは

あってないようなもので

補い合う関係こそ

夫婦それぞれが幸せに生活する家族になること

幸せは二人で作ろうとはしますが

同じことを幸せと感じ

同じ量だけ幸せを感じているわけではない

 

結局

自分自身の

学びの関係が家族という単位

 

だから

よそのおうちは関係ありません

 

バランスとは

量や重さでは計れません

 

任せきりでなく

補い合うことで

バランスがとれる

 

そのことが

1番の課題である

精神的にもバランスの良い関係性に繋がる

 

つまり

相手とも自分とも向き合うこと

そして自分を知ること

相手を理解すること

それだけです

 

ご縁あり

魂が呼び合い

繋がった夫婦という関係性

 

自己成長のために、活用していきましょう🍀

ママは太陽🌞

お母さんは家族の太陽

明るくて暖かい光が子供を伸ばします

 

そう江原啓之さんの本にあります

 

 

本当にその通りだなぁって

思っています

 

子供が1番不安になるのは

ママが病気の時…

きっと色んな悪い妄想が広がります

 

ご飯どうしよ…から始まり

朝起きれるかな?とか…

そんな現実的なことばかりではなくて

ママに叱られる声さえもなくなると

寂しくなったり…

 

だからいい子にしなきゃと考えたり…

 

 

それ自体は

子供にとってもお勉強!

ママが叱ってくれることが

ママのお節介さえも

当たり前だったけど

その有り難さにも気づける子もいるのです

 

家族の中の天気を左右しているレベルですね

 

 

いつも晴れ(笑顔)でいられなくても大丈夫

パパを含め、周りを頼って

なるべく晴れがいいですけどね☀️

 

何か嫌なことがあっても

「色々あるけど良くなるためのもの!」

その開き直りのようなおおらかさがあれば

太陽🌞でいることも出来てしまいます

 

 

言霊ってすごく大切なんですが

ママだって神様でもマリア様でもないわけで

いつも綺麗事ばかりは言えません

 

だからこそ

「ごめんね」「ありがとう」

って言葉は口にして訂正することが大切だと

わたしは思っています

 

あと

「お願いね!」はかわいく♪

 

「やってくれない!」

はただの愚痴

やって欲しいのに頼むこともなく

グチグチしている方が厚かましいなって

私は思うようになりました

 

だから

頼むのです

お願いするのです

それは 下手に出るとは違います

相手を信頼しているからできる言動だと思います

 

人はね 基本は 本当は

頼られたいんです

子供なら尚更です

「めんどくせー」なんて言いながら

魂は経験値上げるためにワクワクしてますから♡

見えているものだけが全てではないです

 

 

あなたが太陽でいるために

何が必要ですか?

それが ママとしての自分と向き合うこと

だと思います

 

そのママになろうとしている自分を大切にすることが

自分に自信を持たせてもくれます

 

ママである前に

1人の人間であることを

忘れないでください

 

そして

導き手である自分を成長させ

日々精進していってください

 

すると

子供は見てますから

のびのび育ってくれますよ🌱

 

 

愛情の仮面をかぶった「エゴ」

江原啓之さんはね

「愛情の仮面をかぶったエゴほど質(たち)の悪いものはありません」

と書いていらっしゃいました

 

内容は

子供への愛情と親としての世間体のこと

 

前回と少し内容がかぶるかもしれません…

 

 

「子供に愛が正しく伝わっている」状態って

どんな状態でしょうか 

 

私の経験では

子供がトラブルがあろうとも

精神的にも崩れることなく、登校出来ている時

悩み相談や、今日の出来事を話してくれること

疲れた〜ってだらんとしている姿を見たとき

 

そんな時に

私の愛情は正しく届いているなと思うんです

子供はきちんと無意識でも態度で示してくれます

 

親の精神状態は

必ず伝わっています

距離が離れていても…

 

長女には特にそれを感じています

 

大学生のため離れて暮らしていますが

帰省での迎えの車の中で話す内容が

どんどん精神性の高いものになっていたり

同じ曲に(クラシックなんですが)ハマっていたり…

やっぱり繋がっちゃうなぁ

が多いのが、我が子たち

 

親が変われば子供も必然的に変わります

それは

血の繋がりだけでなく

養子縁組の場合も同じではないかと感じます

 

 

親には我が子をみる義務があります

子供には親をみる義務はないのですよね

 

つまり

親になると言うことは

自動的に 

ボランティアと言うか

自身の成長のためにもなるのですね

 

輪廻転生を信じている私からすると

ソウルメイトでしかありません

そして今回は子供と言う形で生まれた我が子も

前世は父親だったり 恋人だったかも?!

 

需要と供給がバランスよく自動的に組まれる関係

それは今世だけの問題ではなくてね 魂レベルの話です

お互いを成長させる相手でしかない

 

 

子供を愛せないと悩む方

大丈夫です

大概の方は

本当の愛だったり、真実の愛のようなものは

なかなか知ることができないのが現実

恋愛のような愛おしさは、愛と言えるでしょうか?

 

愛情の仮面をかぶったエゴ…

それは 子供に対する

「過度」の執着、干渉、心配、コントロール

と私は考えます

 

何でも程々に…

子供にはそれぞれ

個として、子供が人生で学ぶべき課題を持って

生まれてきています

そこまで親が背負う必要はありません

見守ること

アシストすること

色んなキレイなものを見せること、経験させること

 

私はそれを意識しています

もちろん、私も人間なので

完璧ではないし、子供に甘えてしまうことも…

 

ダメなママも沢山見てきた我が子

心の器、大きめですよ🎶

 

 

 

子供の個性は十人十色

本当にね

個性ってあるから

個体差があるように

 

私は我が子だけでなく

音楽講師もさせていただいている関係で

他のママたちよりももう少し沢山の子供たちと

深い繋がりを持ち、過ごしています

 

兄弟でレッスンに来てくれる子もいるんだけど

本当に 違うんだなぁ

同じ親から生まれても 違う

外見、雰囲気は似てるけどね

双子は全く性格違うしね

 

そして

生まれる前からの親の妄想が理想となり

理想が叶うかのように思っているから

そのギャップで

子育て中はもどかしくなる…

 

「子供は、親の思うようにはならないもの!」

なんて言われるけど

ところが

子供は、親の無意識の夢、願いを叶えてくれるんですよ

 

コントロールのせいで

思うようにならないだけです

 

目的地があって

そこへ行くには、様々な道があります

距離で選べたり

回り道寄り道で、他も観ながら辿り着く方法

高速道路を使う方法だったり

飛行機や電車や新幹線、船…

とりあえず、同じ車を使うとしても

ひとつしか道がないことは稀です

 

そこで 親は

下調べしているつもりですから

安全な道を知っているつもりですから

はじめからコントロールしたがります

心配だから 

道を指定する感じです

 

私は、子供に対する過度な心配は

呪いだと思っています

その理由も後々話すると思いますが

今は置いておこう…

 

では、我が家の子育てでどんな子になったか…

 

ひとまず

自分のことは自分で決めるスタンスです

選択肢は沢山与えます

そして 話は聞きます

アドバイスを求められたら

よっしゃ!と言わんばかりに

話させていただきます

 

自由には自己責任がついてくるものよ

それを感覚的に教えてきた気がします

 

そして 親としての希望が何もなかった私たち夫妻は

ただ自分のやりたいことを見つけて欲しい

それだけだったのですが

気づいたら 我が子たちは

私自身の子供の頃したかったことを

私の身代わりのように 全て自ら選び、

見事にやってのけキラキラ輝いていました

 

空手、合唱、クラブチームでスポーツ、水泳、ミュージカル、舞台でソロで歌うこと…

お勉強もそこそこ出来、沢山表彰され…

 

「親の顔が見てみたいよね」なんて

パパちゃんと話すくらい

私たちの子どもたちとは思えないほど

色んなことができて

自分大好きで

周りに優しすぎて

先生になぜか好かれる…

 

どうしてなんだろう…

そう考えたときに思い当たる事は

ただ

⚫︎個性を尊重してきたこと

⚫︎出来たことに一々褒める反応がオーバーだったこと

⚫︎決めるのは子供自身

⚫︎親の私が好きなことを楽しく続ける姿を、子供たちが見ていたこと

 

それだけなんですね

 

私にとって 子供たちは

夢を叶えてくれる仲間でしかありません

 

そのために

子供の個性については

向き合ってきました

そして その個性発揮の意味では

導いていたのかもしれません

 

コントロールと導き は違いますよね

 

色んな子がいて 楽しいです

自分のモノ にしてしまうから悩みます

 

「見える人たちも見えないものたちにもいつも見守られてるよ」

それが スピリチュアル子育てなんでしょうね🍀